伊沢正名「くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを」山と渓谷社

遅ればせながらようやく読み終わりました。いや素晴らしい本でした。この本はキノコ写真家の筆者が自分の半生記と野グソとの関わりをひたすら語ったものです。
この半生記、前半部分は「チラシの裏にでも書いてろ!」なニッキという感じでそこまで面白くありませんでした。しかし後半になり、筆者が野糞に対してより真摯に向き合うようになり野糞率(野糞回数/全ウンコ回数)が100%に近付くにつれ、あくまで「チラ裏ニッキ」ながら筆者の行動がそもそも面白過ぎて一気に引き込まれていきます。例えば

最近は一般家庭の庭でも、キウイフルーツをよく見かけるようになった。そのキウイ、私は果実以上に葉っぱを味わうのが好きだ。もちろんお尻で。

などと尻拭きに使う葉っぱについて語ってみたり、あるいは

さらには「脱糞先生」と呼ばれるようになり、思わぬ展開にうれしくなった。

などと野糞を布教した結果に喜んだり。
さらには野糞跡を掘り返してウンコの分解具合の観察を開始し、

切り出したウンコは、断面の目視にとどまらない。よく触って硬さや弾力のあるなしをたしかめ、しっかり匂いを嗅いで記録をつける。

九日後に掘り上げた100番のバナナウンコは、すでにチーズ状になり、やや刺激的な香辛料臭が漂っていた。その断面にはフン虫とアリの穴が無数にあき、色こそ褐色だが、まるでチーズそのものだった。掌に乗せて包丁を当てるときれいに薄切りにでき、これを皿に並べてフォークを添えたら、きっと手を出す人が大勢いるだろうな、と思わずにんまりした。

生ウンコではまだ抵抗があるが、チーズ状や香辛料臭になれば、舐めるくらいはできそうだ。つぎは調査項目に「味」も加えて、さらに深みのある野糞調査をしてみたい。

そしてついに、大中二匹のミミズが現れた百七十日後のウンコで、ポロポロになった糞土の味見を決行した!

と素晴らしい経験を語ってくれます。
最後にはこのようなありがたいお言葉で締め括ってくれます。

ウンコを有機肥料として使ったり、メタンガスを取り出してエネルギーにするなど、有効利用することこそ、ウンコの最高の活かし方だという意見である。そういう見解に立てば、人々の生活に直接見返りのない野糞は、無駄でもったいない、ということになってしまう。(中略)しかしそこには、たったひとつだけ、大切なものが欠けていると感じることがある。それは、自然への感謝とお返しの気持ちだ。自然からの恵みである食料を、いったん人間社会に取り込んでしまったら、たとえウンコになっても自然には返さない、というのでは、あまりに了見が狭いのではないのだろうか。(中略)おたがいそれぞれの正しさを認め合って、豊かなウンコ社会を目指したいものである。

いやホント勉強になりました。僕は野グソは大好きですがトイレでのウンコも好きなので野糞率100%というのは到底できませんが、これからは野グソにティッシュなんて分解されにくいものは使わないようにします。時代は葉っぱで尻拭きですね!
この本の面白いところはこれだけではなく、巻末の袋とじがこれまた素晴らしい。これはもちろんエッチな写真などではなく、筆者の生ウンコの鮮明な写真が時期別に収められています。これらの写真のうち、分解が進んで菌糸が張った写真なども面白いんですが、何より感動したのが出したてホカホカのウンコの写真。びっくりするくらい完璧なトグロを巻いており、おまけにハエが止まってたりと非のつけどころがない。こんな完璧なウンコができる筆者はきっと特別な存在なのだと感じました。この素晴らしい袋とじを見るためにも是非皆さんお買い求めになるか図書館で読んでみてください。ああ僕も死ぬまでに一度くらいはあんなきれいなトグロウンコを出してみたい。